いけぽちゃ
ポーラ美術館に行った。
映えの聖地のようになっている美術館。
彫刻の森美術館には行ったことあるけど、なぜか行ったことなかったポーラ美術館。
コレクションの充実度(印象派部門)が国内随一レベルの美術館。
建物も、クリアでシンプルな見た目で気分が良さそうだなあーと憧れつつ、
生活圏から行きにくいところに所在するので優先順位が低かった美術館。
モネ展を見たかった。
モネの作品を見たいと言うよりは、展示室を見たかった。
「モネが見た光」をそのままに 「モネ―光のなかに」展(ポーラ美術館) 会場構成の中山英之さんに聞く – 美術展ナビ
この、上のインタビューを読んで、さらに 原田マハ『ジヴェルニーの食卓』を読んで、
白い光につつまれながら、楕円形の壁に囲まれているモネを見たい と思った。
モネの睡蓮シリーズは、わたし程度の人間だと「どこが違うん?」と逆ギレし始めるくらいたくさんあるから、そうなると 展示室が観に行く理由になるんです。
もちろん人が生きている中で一瞬も同じ時がないように、同じ作品がないのもわかりますが…。季節も時間も違うというのは伝わりますが…。
(ゴッホのひまわりは8?7?点だけど、睡蓮って何作品あるんだ?!太鼓橋がある構図のものと水面を切り取った構図のものと………)
会期がありがたいほど長くて、いつ行ってもよかったのに、なんやかんやで11月にようやく行けた。
紅葉シーズンという箱根繁忙期……。
チケットは日時指定制ではないので「入れなかったらどうしよう?!」と懸念してたんだけど、スッと入れたし 混んでなくてよかった。ゆったり見られた。
ビッグバジェットの企画展は 人がひしめきあってる中で見るから、あんまり風情がない。仕方ないんだけど。わたしが見たいものはみんな見たいので。お互い様ですが。
Bunkamuraでポーラ美術館展やってるから タイミングとしては悪かったかもしれないけど、人少なめだったから良し。
睡蓮、これまで見たなかで、一番素直に綺麗だと思ったなあ…。
もやーっとしてる画面を見ると、「視力悪いんだな…」としか思えなくて。
自分が目が悪いからはっきりしてる方が好きで。
ドラクロワとかレンブラントとかコントラストがはっきりしてる作品が好き。アルブレヒトデューラーとか。
でも、この展示されてた睡蓮は、青々としていて、生命力あふれてて美しかったな。
アスリートの人の美しさに通ずる 美。よくわからんけど。
他者がいない(少ない)空間で ゆったり静かに見られた・わざわざそこまで足を運んだ とかいろいろ外在的理由はあるとは思うけど、
これまでの「あー、日本のマダムが好きそうなやつね」とか「美術史的価値は理解できるけど、わたし好みじゃないわ〜」とか思ってためちゃくちゃ嫌な奴はどっかに消え去って、
静かな、でも草木は賑わってる、ちょっと湿度のある空気感と光に包まれて、自然を慈しむ満ち足りた人間になれました。
余韻に浸りたくて、小説『ジヴェルニーの食卓』を読み返した。
ダイニングルームは黄色だという記述が出てくるんだけど、
そういえばポーラ美術館のカフェは、壁の一面が黄色だった。
ほんとにモネの家みたいな、まばゆい黄色。レモンイエローというか。
( 黄色の実際の色はこのページを見ました→ https://asm.asahi.com/article/11812378 )
いまは、同じく原田マハさんの『モネのあしあと』を少しずつ読み進めている。
いい体験できたなあ。
そういえば、モネ展だけを目当てに行ったけど、「ロニ・ホーン展」もなかなかよかった。
美術館の建物と作品との、寒色系のシンプルさが同じだった。
窓辺に置いてみたり、暗い壁紙の部屋にしてみたり。
「展示」って難しいんだなあと思いました(雑な感想)。
絵画を見るときは額縁にも意識を向けると良いと読んだけど、展示のされ方にもいろいろ気付けると ぐっと情報量増えるんだろうなあと思いました。
精進しよう。
特に全く美術に関係ない職なのだが、
私は一体どこへ向かおうとしているのか…
我々はどこから来たのか 何者なのか どこへ行くのか……