冬はつとめて

人生は勢い。ここはわたしの箱庭。

ふわふわぐるぐる

人生むずかしーとでかいことを考える日々。

ふと気づく、これが老いなのか…。

「若い頃は徹夜しても次の日出勤できてたけど、今はもう全然!終電帰りですらしんどいもん〜」みたいな言説、インターネットの海で読んだ。

 

本を読むのも体力が要り、そもそも姿勢を保つのにも体力が要り、

寝るのも体力が要り、少しの睡眠不足があっというまに体調不良を招く…。

食べるもの飲むもの口にするもの、お散歩買い物その他の行動。これまでなんの気無しにやってたことを いちいち心身の調子に差し障りがないか考えてやらないといけない。

 

てっとりばやく専門医に相談だ✊と思って行ったけど、通院自体のストレスや薬の副作用と これから効果が発現したときに得られる効用や治療しなかった場合に続く身体愁訴と を比較するとどっちが良いのかよくわからないね。

行くも地獄戻るも地獄なんだなあ。

 

宇垣氏が「私には私の地獄がある」と言ったそうだけど、人は色々なものを抱えて生きているんですよねえ〜。

そう思うと、こんな程度で しんどいとか言うのは甘えでは?こんなんで病院行っていいの?と思ってしまう。まあでも私には私の地獄があるから、私がつらいと思ったらつらいのよ。たぶん。

いろんな生活に対応した労働ができるようになってほしいけど、なかなかどうしたらいいかわからないね。

とりあえず太陽の光を浴びないといけないけど 太陽がない。

雨がとても降ってるのに鈴虫の音色は綺麗。たくましいね。

キラキラピカピカ

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見てほしい、このやばい黒さ。

ちょっとつけて放ってたシルバー。

変色。これなに、黒?緑?黒?もう得体の知れない黒さ。

写真の撮り方も下手。

 

貰い物なのでなんとかしないとなーと思って数年(失礼すぎる)。

友人に 塩茹で法を聞いたことから、一念発起。

塩の分量とか調べてたら、歯磨き粉法が出てきた。

歯磨きクリームでそのまま磨くだけ。

歯磨きクリームには研磨剤が入ってるので、アクセサリーが傷ついちゃっておすすめしないというコメントもあったけど、つけてたらどうせ傷はつくものなので気にしない。

鍋も塩も持ってないわたしでも、歯磨きクリームなら持ち合わせている!

夜中にいそいそ始めてみたら、ほんの数分でピッカピカ。

ピカピカすぎておもちゃみたい。一人で笑っちゃった。

あまりにピカピカだから自分が写り込んじゃうので、アフター写真はなし。

これでまた放置するとただのあほだから使わなきゃー。

 

今使ってるリングとは合わないけど、二つとも使わないと良くないんだろうな。せわしないな。

たった二つで手に余ってるのに、まだ新しい指輪が欲しい。欲深人間〜。欲があるのはいいこと。

本を読んだ話から脱線

「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」 長谷川 和夫[ノンフィクション] - KADOKAWA

 

久しぶりに本を読んだ。

遺品整理というやつをしていたら出てきた本。

読みたかったやつなんだけど、なんでこれ買ったんだろう?と思ったりする。

ちなみに、生前整理という本も発掘された。読んで、実践までしていただきたかったところ。

 

本は全て売るので、出張買取の日までに読まなければならず、急いで読んだ。

やわらかく書いてあって、かつ 主張したいことがかなりはっきりしているので かなり読みやすかった。

認知症の症状は様々で、人によっても、時間によっても 異なること。認知症と診断されたことで人が変わるわけではなく、連続した事象の一つに過ぎないこと。その人を中心に据えたケアを行うこと、決して尊厳を損ねないこと。

読む前は、デイケアなどに行ったらくそつまんなかったとかそういう話かと思っていた(勝手な想像を進めていた)けど、読むと全然違って、恨み言とか後悔はほとんどなく、信仰心が篤い人なんだということが滲み出ている文章。

 

認知症自体の学術的な話もあったし、介護制度などの社会的制度構築の話もあったけど、そんなことより、穏やかに美しい説教を読んでるようだった。

人生の話として読むととてもいい本。

 

一方で、周りの人に恵まれている(理解や、時間的余裕など)ことが 健やかに過ごせる前提条件なんではないかと思えてしまう話が多く、その条件は前提にも関わらずとても高いハードルなのでは?と思うと、一体どうしたらいいんですか?と思ってしまう。

認知症の対応は難しいので寝たきりの人の対応が先に打ち出された、という内容の話も出てくるけど、パーソンセンタードケアを少子高齢社会でつつがなく実行するにはどうしたらいいんでしょうか と途方に暮れてしまう。

世の中難しいね。

そういえば、親戚の子の教科書を見ていたら「少子高齢社会」と書いてあった。「化」ではないのだな、と思った。もはや戦後ではない、ならぬ…。

 

昨日より今日、今日より明日、毎日ちょっとずつよりよいことをしていけば、よりよい生を送れるんだ!ベストじゃなくて、ベターを積み重ねていくことが大事なんだ!だから地道に頑張ろう!

と、思っていた時もあったけど、もうそんなん知らんからスプラトゥーンやって寝よーっと。

昨日は寝られなかったから今日は寝られる。はず。

今日はとっても楽しかったね〜、明日はもーっと楽しくなるよね、ハム太郎 を思い出す。

ロコちゃんに感銘を受けていたのは遠い日のこととなってしまった…。

 

 

 

ここまで書いて公開してから、日課(時課?!)のTwitterを開いていたら、このNoteの記事がリツイートされていた。

鬱と育児が大変だった9月の話①〜ほぼ鬱の話〜|たまのきゅうか|note

(公開されてるやつだからリンクを貼ってもいいと思っている)

感想を述べるのは難しいけど また読みたい。

また読みたい、と思ったらへんで、やっぱりまた調子が悪いのか?と思い至ったりする。そわそわ。

ま、いっか。歯磨きがんばってして、スプラトゥーンやって寝ましょうね。

簡潔さを失った文章2

流行りの感染症に罹った話、のつづき。

あくまでわたしの個人的体験をわたしのために残しているものなので、みんながみんなそうだとはならない。あたりまえ。

続きなんだけど、この愚痴が書きたくて書き始めた感がある。これは完全に愚痴。

 

 

 

受診して3日経った頃。

ここらへんでようやく解熱剤を飲まなくても、体温が37℃を切るようになってきた。

36.5℃という理想的な体温になり、食欲もわいてきたので、流水麺に和えるだけのつゆ(梅おろし!梅でさっぱりしたかった!)をかけて食べた。

めっっっちゃしょっぱいのに、梅の味はせず、麺もべちゃべちゃもちっとした食感の情報はあるのに味の情報が皆無。

ここで気づいた。そういえば初日に感じていた汗臭さがない!

感じるのは、いつもより強めの塩味。あと甘み。甘みはぼんやりしている。あと、苦味。

いわゆる、味蕾…?と知識不足の頭で考える。

梅の味がしないけどしょっぱいというのは、結局「風味」が失われており、嗅覚がおかしいだけで味覚は生きているのか…?塩気を強く感じるのも、それ以外の感覚がないから目立って見えるのか?でも甘いのはあんまり感じないな、うっすらわかる程度だな… と、フルーツグラノーラを一口食べながら思った。

 

喉の強い痛みは読み聞きしていたから警戒しており、喉が痛くないうちにご飯食べよう!とすら思っていたのだが、まさか熱下がってから嗅覚異常になるとは思わなかった。びっくりした。

全部の症状がどーんとくるんじゃなくて、刻一刻と変わっていくもんなのか…と いろんな疑問をもった。

 

 

そのあと数日は、「いやーこれガス漏れしてもわかんねえな…」とか、「嗅覚異常ってなに?って思ったけどこういうことか!」とか、「嗅覚ないと 清潔感の観念が失われるな…」とか思った。

ちょっとテンション上がって香水を手につけてみたけど、鼻に近づけて嗅ぐと、今まで嗅いだことない匂いがしてびっくりした。いつもはキンモクセイのすっとした匂いなのに、そのときはあんまい匂い(一応ラストノートは甘みがある)で、これはどういうことだ…?と思った。

熱ある時は 逆に 鼻が変な臭いすると思ってたのに。

 

 

療養もラスト数日になったとき、肉親に不幸があり(この言い回し変だよね、不幸を感じる主体はもういないのに。不幸なのは私だ。)、いろいろバタバタした。

めちゃくちゃ関係ないけど、会社からもらえる休暇が競合を起こし 1週間ほど無駄にした。なんか癪だった。人の死を前にして不謹慎というか、せこすぎるが、なんか癪だった。

熱が下がって72時間は経っているが、10日経ってないのでさすがに社会復帰!とはならないが、何せバタバタした。

めちゃくちゃ鼻声で、ひとり部屋から電話などした。たくさん喋ると咳が出て、みぞおちから喉にかけて かゆみを感じた。気道がかゆいのか?ひくひくする感じがあった。

それまでずーっと寝ていたので、久しぶりに縦になったなあとか、お昼寝の時間なんだけど…とすっかり甘えたことを思った。

もっと働いている家の人には「そろそろリハビリしたほうがいいんじゃないの?こっちは1時から病院に行って役所に行って…」と怒られた。でも、ほら、今の私が外に出たら単純なバイオテロじゃん。

 

そうこうバタバタしているうちに、隔離期間はあけ、でも天気が悪いから外には出ず、家の片付けなどをしていた。

そうしていたら頭が痛くなり、微熱があった。

バタバタしたから疲れたのかもしれないし、台風の直後だったので気圧の変化にやられたのかもしれないなと思った。

頭が痛いので 解熱鎮痛剤を飲んだ。

そこから3日間は、普段の自分にしては高いが 微熱というほどではない体温で、たまに頭痛を感じるくらいだったので 淡々と過ごした。

 

 

淡々と過ごし、そろそろお休みも終わる〜という頃、頭痛はあるし嘔吐はするし微熱はあるしという状態になった。2日も続いて、せっかくの土日を無駄にした。

そーんなバッドコンディションの中、社会復帰1日目、熱はなかったので出勤した。

会社の偉い人に「調子悪かったらちゃんと休んでね」と、調子悪いと言った直後に言われた。

休んでね、という前に休暇の手続きをとってくれても構わんのだぞ。

 

 

調子が悪いのに病院行かないなんて、という圧力を感じたので、あんまりほいほい病院にかかっちゃいけないんだよ…と思いながら 受診した。

吐き気が一番続いていてつらかったので、消化器科を受診しようと電話した。そしたら、「PCR検査受けた病院に行ってほしいんですけど…」とすごく申し訳なさそうに言われた。

そういうもんなの?あんま関係なくない?と思いながら 受検した病院にかけたら、いろいろ聞かれた結果 ふつうの内科を受けていいよと言われたので行った。

病院はめちゃくちゃ空いていた。

なんかもうよくわからないので、問診票にいろいろ丁寧に書いた。いつからどんな症状がある、というのをいっぱい書いた。

 

内科の受付に行った。

朝は全然熱なかったのに 病院で測ったら微熱だった。

血圧も 朝は低かったのに とても高かった。

血圧測ったあとに再度熱を測ったら 少し下がったので、歩いてきたから体温上がったんですねという解釈がなされ、受診できた。

 

診察室に入れと言われたので入った。

「今日は、なに?」と言われた。なに?って、なに?と思って、おうむ返しした。

問診票はテーブルの上にあるにはあったが、この文字の小ささが私の目の前にあって、この医者は読めるのだろうか?と思った。

喋るのもだるいので問診票に書いたのだが。

問診票にもともと挙げられていた順番で 症状を挙げていたが、多岐にわたるのでとまどった。

そしたら 一言、「コロナは治ったんでしょ?」と言われた。

今のシステム上、発症日を0日として10日間かつ熱がおさまってから72時間経過で療養期間が終わると理解している。

別に陰性証明をもらってないから治ったかなんてわかんないじゃん!とは全く思わない。思わないんだけど、未だに吐き気があること、そして喉はもともと痛くないが咳は依然としてあること、たしかに熱は下がって、今は発熱とは言えない微熱程度なこと、微熱も毎日ではなくあったりなかったりすること が続いている(かれこれ3週間)という説明をさせた上で、治ってるかどうかを素人がわかるというのか…?

「熱は下がりましたね、いまは微熱程度ですね」

「そうでしょ?若いし、今まで病気したことある?ないでしょ?綺麗に治ってるんでしょ?コロナの後遺症とか、テレビとかですごく騒いでるけどさあ、後遺症なんてならないよ」

綺麗に治ってるんでしょ、って、なに?そして、わたしは単純にしんどいのと職場の圧力により受診したのであって、後遺症ですと言ってほしいわけでは全くなく、なんなら後遺症かもとすら思っていない(だから 別の病院に電話をかけた)(断られたけど)。別に、後遺症があるかないかなんてどうでもいいし、わたしが後遺症に当てはまるかどうかもどうでもいいんだけど、単純に今つらいから診てもらえますか、ときた人になんだそれ。てかなんで他人にタメ口なの?

 

「後遺症かどうかはどうでもいいと思ってるんで、最初は全く別の病院にかかろうとして断られてこちらに伺ったんですけど、」と、ちょっと主張してみようと思ったら普通に遮られて「え?コロナはうちでみたんだよね?え?」とか言いながらパソコンをゴリゴリ操作し出す人。忙しすぎて時系列を丁寧に伝えないとわかんなくなっちゃったのか。タメ口で偉そうに喋ってくるから忘れていたが、この医療逼迫の中、お医者さんはみんな満身創痍で疲労困憊でわけわかんなくなっちゃってるんだ。まあこの人はもともとあれかもしれんけど。と、わたしの持ちうる限りの他人への配慮をかき集めて 心を落ち着けようとした。

ここらへんで、完全に受診したことを後悔している。

結局、後遺症はどうでもよくて、別に10日間も寝てたらふつう体力落ちていろんな不具合が出てくると思うので

という趣旨の返答をしようとしたら「そう!体力がね!」と、また遮られ、いろいろ持論を展開され、また若く持病のない人は後遺症ではないという話に着地し、私は医学的素養に欠けてるので後遺症という単語の射程がわからないんだが、コロナをきっかけに体力が低下しいろいろ起きた不都合は 一般市民が後遺症と呼んでも仕方ないのでは?と思ったりした。

それはいいんだが、今まで血圧が低く…といえば、「これで血圧低い?」と言われ、「血圧が100をきるとね!ふらついたりそりゃあするよ!」と重ねられ、脈拍や血圧が乱高下するのが気にかかっていると言っているのにそこの話にはならず(気にすることでもないよとも言われず)、貧血が…と言えば「貧血ならそんな症状も出るよ!!」と言われ、いや素人判断を後押ししちゃいけないだろ。と思うなどした。

喉を見られたが、喉も腫れてない!と言われ、胸元に聴診器で呼吸音?を聞かれたが 異常はない!と言われた。レントゲン…撮る?撮っても何もないと思うけど…と最終的に言われた。まず、喉はもともと痛くなっていません。まあそれでも診てくれるのはありがたいけど。

肺炎になっているかが知りたいのではなく、また後遺症だと診断してほしいわけではなく、吐き気などの諸症状がつらいので原因がわかればよいしわからないならわからないと言ってほしい(心療内科に行くので)のに、肺周りばかり確認されて、目の前に座る人間との間にマリアナ海溝が見えた気がした。

社会保険に負担をかけてもいけないので レントゲンは断った。

低血圧や貧血の話の時に挙げられた症状に吐き気がなく、吐き気が一番辛いのに…と思ったら 吐き気どめ出す?と言われた。

規則正しく生活して、不安を感じないようにし、外食は控える、米が最強!と、持論を展開してたのを今更思い出したのか?吐き気でご飯が食べられてないという主訴を、今思い出したのか。吐き気で起きる人に規則正しく生活して、ってなんだろう。生活習慣病が「気をつけて」で改善すると思うタイプの人だろうか。

もう喋りたくないので「要りません」と言って帰ろうとしたら「そこまでではないね」と言われた。なんでそうやって人の苦痛を軽くみるのか。いやいいんですけど、実際歩ける程度には軽いので。なに食べても吐くし吐けるものなくても吐くし、何週間もそんな感じだけど、今 歩いて病院に行って怒れるくらいには元気なので。

家と病院の間に会社があるので、「お前たちが病院に行けと言ったから行ったが意味なかったぞ」と言って帰った。怒ってちょっと元気になった。会社の人は ヘラヘラ笑って「アドレナリンがね!」と言っていた。

自律神経がおかしいのか、もともと夕方とか寝る時間になると元気なんですーとうっすら思った。

ここらへんで、そういえばコロナ感染者で嗅覚異常や喉の痛みはきくけど、吐き気ってきかないな?と思った。検索したら、NHKかなんかのニュースで吐き気を訴える人がヒットした。その人も、吐き気ってきかないので不安だった、という旨のコメントをしていた。こんなに感染者いるのになんか孤独ですよねー。症状ガチャとはよく言ったもので。

 

 

病院行くくらい調子悪いんですよ、とちゃんとアピールしたつもりだったが、翌日(社会復帰2日目)はさっそく過酷な条件下での1日出張だった。

おかしいな。「調子悪かったらすぐ休んでね!」と言ったやつの部下は、出勤するなら120%の出力を求めるやつだった。あんまり休むといつまでも体力戻らず社会復帰できないから…と思ったのが間違いだった。

もともと疲れやすく体調も万全ではないのに、普段でも疲れる出張をし、案の定 調子悪くなり、寝てるのに目眩を起こしたり熱を出したりした。

それから数日、高めの体温で目眩や発汗、手足の冷たさを感じながらふわっふわ仕事したり早退したりしていた。

いつも吐き気で起きていたのに、下痢で起きるようになるなどした。コロナの今の主症状は下痢って聞いたわ〜と思うなどした。

 

それから、体温は下がり、まあホルモンバランスかもと思った。ぴったり月経もきて、しんどい割には正常なんか、身体!と思った。

まあでもいつもより貧血がひどくしんどかった。しんどかったが なぜか休めなかった。おかしいな。周りの下っ端は休んでいいよと言ってくれるし、さらに上の人も休みなさいと言ってくれるが、中間管理職のブロックにあう。なんだ?私の顔が見たいのか?それなら休みとってここで寝てるからそう言え?と思った。こんくらい太々しく考えないと 出勤がしんどい。

 

鉄剤は飲んでいるけど、なかなか貧血と思われる症状が改善しない。さらに吐き気は依然としてあり、毎朝 ぜぇはぁいいながら汗だくだくで起きる。

さらには耳鳴りもするので、とりあえず会社に来てそう言ったら「えー、まじか!でも熱出てないじゃん!」と言われ、また知らないうちに入れられていた出張に行った。

エアコンもないところで、雨が降ったり突然晴れたりとわけわからん天気で、ふつうにしんどかった。

ふつうにしんどくて会社に戻って速攻帰ろうとしたが待っててと言われ、いつまで経っても病休使えないのはなんなんだと思った。

定時だから速攻帰ろうとしたのに仕事の話が終わらず結局 どんどん長引いた。

終わってから、やらなければならないことはあったが文字を読むのもしんどい(頭に入ってこない)ので、「頭痛いから帰りまーす」と言ったら「おつかれさまー」と言われた。なんだそれ。

 

それとは別に、さらに上の人から「会社ではコロナ感染者に対してアフターケアをやっています。」と言われ、なんかアンケートみたいなのを書かされた。同時期に何人か罹患しており(クラスターではない)、みんな集められて、みんな何の共通点がある…?と思いながら話を聞いたら、感染者という共通点があった。プライバシーどこにやってしまったんだ?と思ったが、スーパーもたいしてないような地域にプライバシーを期待するのが間違いかと納得しようとした。

ブログという全世界に公開する文章ではいろんなことを書いているのに、会社のアンケートは「何の権限がある?」と思って書く気になれない。ちゃんと書いたら助けてくれるのだろうか。

 

 

 

 

以前、軽度抑うつ状態と言われてひと月ほど経ってから、リハビリや経過記録のつもりでこのブログを始めたから、別の病気の文句を書いているのがなかなか感慨深い。

しかし いつになったら調子良くなるの?とか、鳩尾や背中が痛くて心臓大丈夫?とか、不安に思うと余計体調悪くなる!明るくすごそ!と考えて反動でしんどくなってるとか、身内の不幸が今更心の中できいてきて 泣きじゃくって寝れないとか、寝れないから余計いろんな不調を感じるとか いろいろあり、困った。

困ったけど、完全に医療不信になってしまったので病院行きたくないなーこうやって肉親は病院を拒否して死んでいってしまったんだなーとか思う。

あんまりすぐこういう考えになるうちは、わざわざ文字にしない方がいいのかもしれない。文字にするというのは精神に負担がかかるのでおすすめされないこともあると思う。

でも書いちゃったから公開する。

今日は早く寝られるといいね

簡潔さを失った文章1

誰かに聞いてほしいけど、こんな長い自分語り、対面でするとよくないなあと思ったので書く。

あと、連日メモを書いていたことの文章化なのだけど、今日当時のメモを見て「あ、そうだったそうだった!」と思いだすこともあったので、備忘録的に書く。

一応 センシティブ(?)な情報になるので、書かなかったことやダミー的に書いたことなどがある。など。

 

 

 

先日、コロナ陽性者になった🧚‍♀️

幸い軽症だし、家庭内感染もなく、よかった。

軽く済んだ人の個人的体験として受け取ってほしい。

もしかしたら書き方悪いところがあるかもしれないけど、誰のことも責めてないし、もちろん医療従事者や配達員の方、周りの友人同僚家族などに感謝している。大変な時に 診てくれて、助けてくれてありがとう。

 

 

発症から受検まで

最初は喉の違和感と嘔吐があり、靴を履き替えるのもだるいくらいだったので早く寝た。

次の日の早朝、暑すぎて寝られないので エアコンが壊れたかと思いながら体温を測ったら39℃近かった。

37℃とかだったら会社休むだけで寝てようと思っていたが、さすがに39℃だと病院の受診をしたい…と思った。

常識的な時間になるまで待って、会社に休む連絡をした。

常識的な時間になるまでの間、寝られないのでインターネットで発熱外来の受診方法などを調べた。

また、家族の勧めで、ネットスーパーで冷凍お弁当やゼリーなどを発注した。一番早くても次の日の夜の枠しか空いておらず(いつも混んでいるらしい)(初めて使ったからわからなかった)、また、そもそもスーパーがない地域なので配送料だけで1,000円かかり、さらに置き配非対応だった(置き配については、注文したあと気づいた)。自分が買いにいけないときに、かなり遠い地域に冷蔵品を届けてくれるなんて1,000円じゃお安いとは思うが、一方で、主要なスーパーがほとんどない地域に住んでいるときに隔離生活になってしまうとは…と自分の人生を考えるなどした。1秒だけ。

受付時間になって、病院に電話をかけても一向に繋がらず、一回奇跡的につながったのだが、なぜか宿直の先生につながってしまい、その先生も「なぜかこっちつながっちゃったんで受付のほうにつなぎます」と言ってつなげようとしてくれた。なんだけど、そもそも病院の回線がパンクしているからか 電話は切れてしまい、またかけ続けることに。

宿直の先生の声は疲れ切っており、医療逼迫の中、重症化しなさそうなわたしがやっぱり受診していいのか?と思った。

月曜の朝イチという一番人が多そうな時間だし、なんか悪いし…と諦めかけたけど、ここで陽性者としてもらわないと後の手続きがいろいろ滞ると思われたので、申し訳ないが行政を恨んでください…という気持ちで、10分ほど間を開けた後かけたらすぐつながった。

つながったのにびっくりして切るところだった。

そしたらすぐの時間の予約がとれますよと言われ、さすがにそんな早くに到着できないし…と思って次の枠に入れさせてもらった。

受検者が多いからか説明事項がかなり洗練されていた。

コロナ感染疑いのある人は もちろん院内に入れないので、自家用車がいちばん良い(待ち時間の関係で)と思われる案内をされた。39℃も出てるのに運転していいんか? 感染者用の専用タクシーみたいなのがあればいいんだが、、、と思った。まあ難しいよねー

 

検査結果を待つまで時間がかかるので一度 敷地から出て行ってほしいと言われた。電話が来るもんだと思ったので、家に帰った。

 

 

検査結果説明

時間が経って、知らない携帯電話から電話がかかって来た。警戒しながら出た。受検した医療機関に所属するお医者さんからだった。

電話の内容は

・検査結果

・電話で診療を行うこと

・現在の症状とその発症日

・治療環境(同居者がいるか、部屋は分けられるか、食糧調達を頼める人はいるか)

・アレルギーの有無

・勤め先

・簡単な行動歴

・保健所から連絡が来るので対応すること

だった。はず。まだあるかも。

症状として、発熱と割れるような頭痛、倦怠感があったものの、喉の痛みはほとんどなかった。

最近の症状では 下痢が目立つらしく、聞かれた。わたしは嘔吐があったが、「消化器症状たとえば下痢」ではなく、「下痢はありますか?」という単純YES/NO質問の体だったため、ありません、と答えて大きな症状を答えそびれた。

しかしあったこともない人と 音声のみでやりとりするなんて大変だなあ…と思った。だるいので こちらも何聞かれてるかよくわからないから要領を得ない応答をしてしまった。

 

とりあえず会社に報告した。「あとのことはやっておくから安心して休んでね!」とは言われなかったが、電話口では熱でハイになっており明るくしゃべっていたのでだるさが伝わってなかったらしい。「ようせいでしたぁ〜」と花畑に来たテンションで穏やかに話したからかもしれない。きびきびする元気がなかっただけなのに。

 

その後保健所からの連絡を待った。

また電話がなったので 保健所だと思ったらさっきのお医者さんだった。聞き忘れたことがあったとのことで、ワクチンは打ってますか?というものだった。

 

その後、病院から連絡があり お薬の準備ができたので取りに来てくださいと言われた。郵送……は………むりですよ………ね………と心の中で思った。

 

 

行政からの連絡

保健所からのSMSより先に、厚生労働省からお知らせURLとCOCOAの陽性登録用URLのついたSMSが来た。他のサービスと同じ送信元番号だったため、詐欺メールか…?このURLは本当に押して大丈夫か…?と困惑した。なんかキャリアが提供してる番号らしかったので、とりあえず信用することにした。

COCOAの陽性登録をした後、家族から「通知が初めて来た!作動してたんだね!ただバッテリーを食うだけのアプリじゃなかった!」とちょっと喜んだLINEが来た。

翌日もCOCOAの陽性登録依頼メールが来た。登録失敗してるのか…?と不安になりもう一度やったりした。あれはよくわからない。前日の電話番号とも違う発信元だし、登録してもしなくてもリマインドとして送ってるなら無視するだけだけど、そうじゃないのかどうかもわからない。検索してもパッと見つからない。かなり検索して、検索している間は気が紛れてよかった。

 

保健所からの連絡は全然こなかったが、一応当日中に「発生届受理しましたよ」のSMSが来た。こんな夜まで働かせてごめんねえ…仕事増やしたねえ…と申し訳なかった。

てっきり電話がくると思っていたので(「対応が必要な連絡がくる」ということは電話なのだと思い込んでいた)、返信フォームすらないSMSだとは思わなかった。連続して届いたが、「療養期間中はSMS等で健康状態を確認しますので連絡をお待ちください」という文もあったので、当日中に受理してもらえるんだ、大変だな…と思いながら解熱剤を飲んで一日中寝ていた。

その翌日も 同じ番号からSMSが届き、マイハーシス(?)のログインURLが届くのかと思ったら、日中と夜間それぞれの相談窓口の電話番号を記載したものと、「特にご相談がない場合は、こちらからのご連絡はいたしません。」という文章と いろいろなお知らせをまとめたURLが送られてきた。

この辺りで一気に不安になった。

現行体制が業務を圧迫するか否かや、今後どういう体制が望まれるかは、現場の状況を的確に把握して改善してほしいが、そもそも、どういうところからどういう形態でどういう連絡が来るのかが全くわからないのはしんどかった。管轄保健所が同じ陽性者は周りにおらず、ネットで検索するにもどう検索かけたらヒットするのかもそもそもないのかもわからず、公式ホームページ上には「感染者が多いため連絡が遅くなっています」という伝達事項しかなく、「リスクが低い人にはSMSを1通送るだけです」とかは書いておらず、なんだったら届いたSMSが公式なのか偽物なのかもわからなかった。

 

会社の上司が1日1回電話して体調を聞いてくれるのにちょっと安心した。友人も忙しいのにLINEをくれて嬉しかった。人間は社会的な生き物なので10日間も 放置されたら泣いちゃうよーと思った。

 

 

食糧

実家が常温で送れる食料は送ってくれて、療養2日目の朝にはついた。

置き配指定だが一応呼び鈴を押してくれた。すぐに玄関に向かう俊敏さは失われており、またインターホンがない住まいなので、対応できなかった。

しんどかったが気合を入れてドアを開けようとすると重くて動かなかった。気合を入れ直してドアを開けるとずりずり音がするので、覗くと荷物がドアの目の前にあった。平日だったので 出勤してこの家の人は不在なんだと思ったんだろう、とほっこり(?)した。

とりあえず食糧や紙コップなどが入っていて、すぐ使うわけではなかったがとても安心した。

 

冷たいものが食べたかったので、ネットスーパーが届くまで待ち遠しかった。

会社の人が水やアイスなど買って来ますよ!と言ってくれたが、なにせ彼ら彼女らは働いているので 退勤後の時間で、わたしは寝ていたため感謝だけ伝えた。

 

 

 

とりあえずこれで3,700文字!

あとはひたすら寝て療養し、症状はまあまあ改善した。

っていうナレーションで終われそうな内容。

雲の上人

久しぶりに飛行機に乗った。あんまり久しぶりだったから逆に緊張しなかった。飛行機の翼のところに機体番号が書いてあって、ずっと「JLOO5便で」を思い出しながら乗った。緊張した。

 

飛行機に乗って行ったことのないところに行った。

ブラタモリの本を見ながら、「毛越寺」に行った。読めない。まるで読めなかった。

平安様式って全然わかんないんだけど、平等院鳳凰堂みたいなこと?と思った。何かを考えるときに、別のものを参照するのは悪口になったりしかねないのに言ってしまう。

しかし、昔は橋がかかってたとかびっくりだ。全然印象違うよねー。

 

そしてこっちも行った。中尊寺の駐車場が「満」となっていたから予定変更して毛越寺を先に行った。毛越寺にいるときに、中尊寺を先に行ったらしい人が「中尊寺はアップダウンがあったから(平らな毛越寺はまわりやすい)」と話しているのが聞こえて、この順番で良かったかも、じゃないと心折れてたわ。。。と思う程度には中尊寺の山登りはきつかった。ピクミン育ちました。

中尊寺、写真のアングルを見て、中学かなんかの資料集で見た!!と思った。

資料集の写真を見て、金色堂って実際に金色なわけではないのか。と思ったり、細い山を登ったら金色堂だけがあるんだと思ったりしていた。

覆堂が白いなーと思ってたら、古い覆堂まで展示?されててびっくりした。

 

そこからどんどん移動して、仙台城跡へ。全然知らなかったんですけど、伊達政宗像壊れてしまったのか。地震といい大雨といい、厳しいなあ、と しょんもりしてしまった。

 

 

どんどんいろんなところを観光していると、浸水区間ここまでという看板がたくさんあり。その浸水区間がどれも「こんなところまで?!」と思うところで。

 

 

 

日本三景のひとつ、松島は雨でした。雨の方が風情があっていいやんと思ったけど、天気がいいときに景勝地を見たら「やっぱり天気いい方がいいな!!」と手のひらクルンしてしまった。

天気が良くて良かった浄土ヶ浜うみねこが頑張って水を掻いてて可愛かった。

そこからは頑張って北山崎。岩ばっかり見ている。三陸ブラタモリ、本にしてほしい。

 


あとはまた飛行機で。飛行機、どこを飛んでるかが出てくると面白いのになあと思った。最新機だとモニターが付いててわかるようになったりしているのだろうか。

 

久しぶりに大きな旅行に行ったので手間取ったりしたけど概ね楽しかった。体力があるうちに色々見てまわりたい。です。

旅あとノートを作るのも楽しみ。いつ完成できるだろうか。休みはどれだけあっても足りないなあ。

ちまちま仕事

なんとなく一念発起して、トラベラーズノートを改造した。カスタマイズというやつ。

 

トラベラーズノートはシンプルな構造で、カバーとなる革に穴を開け、ゴム紐を通し バンドにしている。

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(ビフォー写真を撮り忘れたので 姪っ子のトラベラーズノートを撮らせてもらった)(京都エディションがド好みだけど既に成田エアポートエディションを持っており、2つ目を迎えるなんて…とためらった結果、姪っ子に買い与えるという解決策)(ただの買い物が好きな人)

 

シンプルな構造が故にゴムが緩んだりすると替えやすいという利点があるのだが、いかんせん書く時に結び目が邪魔。

このままスタンプを右ページに押そうもんなら壊滅的な仕上がりに。

と、いうことで検索していたら、結び目問題を解決している先達たちが。あらまほしきことなり。

 

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勢いで近所のパーツ屋さんに行って、買ってきた。じゃーん。

これを、こうして、こうじゃ!

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裏に紐を通して、さらに薄いパーツをかませることで穴から抜けないようにして、表に戻す。

で、結び目を外に出す、と。少しはボコッとするけど 圧倒的に薄い。

 

そして外に出された結び目、なんだかやっぱり気になる。

最初はカニカンで留める方式にしようと思ったけど、カニカンは小さすぎて開け閉めめんどそう。(今気づいた、ゴムだからそのまま伸ばせばいいんやん)

パーツ屋さんでいろいろ見た結果、スナップボタンにしました。

ゴムの両端にそれぞれスナップボタンを通して、輪を作って結ぶ。

結び目のところに、リボン留め(紐留め)を横に装着させ 目立たなくする!

リボン留めにはパーツを付ける穴があるので、丸カンを間に挟みつつ、装着!

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じゃーん。

アンティークゴールドという色味の商品があったおかげで 統一感ある見た目に!

ちょっといかつくなって、ごてごてしくなったけど、手間をかけたのでかわいい。

 

今思うと、片側をくるみボタンにして、反対側の輪っかを大きくすることで 楽にとめれたなぁ…と思ったけど、かわいいくるみボタンがないのでしょうがない。

もし今後 パスポートサイズとか、別のカバー買ったらやってみよ。

 

自己満足できてよかった!

いい達成感。