冬はつとめて

人生は勢い。ここはわたしの箱庭。

春は散漫

ついこの間「春だぜー!」と暖かい気温を存分に享受してのどかな1日を過ごしたけれど、その翌日は くしゃみが止まらず、鼻も喉も耳も痒いし、鼻にはティッシュ詰めようか検討し始めるなど、春の洗礼を受けた。ちょーっと気分を良くするとこうだよ。自然はキビシイ。

 

こんないい天気なのに外に出ないなんてもったいないよー、と思う一方で 人手が増えてきましたなんて伝えるニュースを見ると、人混みやだなあ、花粉もあるし外出たくないなあと思う。こういうアンビバレントな気持ちは、おっ春だな!って思いますね、ようわからんけど。

 

あったかい日が続いたかと思いきやまた寒くなったりするみたい。これが三寒四温ってやつか。

初めて三寒四温って言葉を聞いた時、「3月はまだ寒い日が多いけど、4月はあったかい日の方が多いですね」みたいな時候の挨拶だと思った。早とちりがすごい。爆速で誤解する。

 

四捨五入したら30歳になる歳になってから、なんか季節に対する感度が上がった気がする。春は、なんだか空気がモヤッとする。白く霞んでる気がする。遠くが蜃気楼みたいに見えるのに、暑くはない。冬も気温が比較的高い日はあるけど、空気は痛い。スンッとしてる。春はいろんなものが動いてる気がする、アスファルトの続く地面からは生命の息吹は感じないけど、自分が地面から2mmくらい浮いてるんじゃないかと思う。冬は風の動きはあるけど、身体が縮こまるからか、何も動いてない「静」の状態に感じる。自分と空気の二者しかこの世にいない気がする。気を張って一歩一歩進まないと、吹き飛ばされそうな。室内でも、ベッドから足を出してフローリングに足をつけたとき「なんか静かだな?」と思う日は雪がちょびっと積もってた。雨戸閉めててもわかるもんなんだなあと思った。

 

小学校から高校まで、冬でも短パン履いて平気だった。あれはなんだったんだろう。暑い寒いが完全にわかんなかった。気候に合わせるより、着心地の良いめんどくさくない服を着ることの方が重要で、クソ暑い日にカーディガンを着たり、クソ寒い日に短い靴下だったりした。

 

冬は無気力になるから好きじゃないけど、春がやってくると冬も良かったなあと思ってしまう。喉元過ぎればなんとやら。

 

わたしの好きな4月生まれの芸人さんは、「春、桜の散る中、妻の手を握りながら死にたい」とだいぶ昔に言ってたけど、わたしは雪の日がいいなあ。白くて静かで、なんか逆にあったかい気がする。桜怖いんだよな…、なんでかわかんないけど。桜はざわざわする、心も、空気も。

近所の桜の木は、ここ数日暖かい日だったとは言えさすがに2月は咲く気配のかけらもなかった。

 

最近、視力がとんと落ちて、常時 眼鏡をかけるようになった。マスクの干渉で曇るけど、それでも眼鏡をかけて外を歩くと「これまでいかにものが見えてなかったか」がわかる。

去年の2月の桜の木の様子なんて全く見えてなかった。去年見えてたものは、なんか茶色い大きいの。なんか気づいたら白とピンクのちょっと怖い生き物。地面に落ちるとちょっとずつ茶色になる。大型連休に気を取られる頃になると、緑のモサモサになってる。毛虫に注意。

 

印象派の絵画を見て、「…は、はぁ…。まあ…、えぇ…。」って気持ちになってたんだけど、あれも私の目が悪かったからなんだなあ、ぽやーっと見えてるから、だからなんだ?と思ってしまう。この、目が悪かったから印象派に惹かれなかった論は、印象派好きの父に「そんな理屈があるか、単なる好みだろ」と一蹴されたけど、モネとか目が悪かったんじゃねえの?とうっすら思ってる。調べてないけど。

 

そういえば今年(去年か)は紅葉見なかったなあ。紅葉ってうまく見れたことない気がする。

 

今年は季節を愛でたいなあ。植物関係。

話があっちこっち飛んだのも、春っぽくていいね。